医療法人仁寿会菊池医院は、昭和23年12月に初代院長菊池寿子がここ郡山市本町に小児科専門の有床診療所を開設しました。『全ては患者さんのために』をモットーに、往診を含め日夜いとわず小児医療を実践していました。当時は産婦人科も併設し、分娩も扱っていました。

昭和59年、2代目院長菊池辰夫が後を継ぎ、地域の小児科診療所があるべき姿を追求しました。平成9年に県内で初めて病後児保育室を開設し、また訪問介護や居宅支援などの老人介護事業も始めました。『全ては地域のために』をモットーに、小児医療のみならず郡山の医療の発展に尽力しました。任意予防接種に対する公費助成や医師会介護病院の新設、看護学校の新設、そして開成山野球場内に新型インフルエンザパンデミック用の診察室の設置の提言をしました。

さて、私は平成22年4月に郡山に移った直後、東日本大震災に被災しました。未曾有の自然災害と、前例のない放射線汚染の環境でどうやって子どもの心身の成長を見守れるのかを考えて行くうち、ただ単に外来を訪れる病気を抱えた子どもの診療を行う事だけが小児科医の仕事ではないと感じるようになりました。

人の一生の土台を創るのは、人生の最初のわずか数年です。この大事な時期を子どもたちが元気に過ごすための生活環境を地域の大人がしっかりと保証しなくてはなりません。学校や保育機関と連携し、これらの機関へのサポート、子育て相談、福島県の甲状腺健診なども積極的に行い、また、個人としては、認定NPO法人 郡山ペップ子育てネットワーク理事長として、郡山市から委託を受けている、PEP Kids Koriyamaの運営や子どもたちの生活習慣に関するアンケート調査、体力運動能力調査を指揮してきました。また、県内外から依頼を受け、子どもに関する講演活動や福島で知り得た知見を国内外で発表してきました。

平成26年、私は3代目の院長に就任しました。東日本大震災による大きな影響を受けながらも、平成30年に創立70周年を迎えることができました。その一大記念事業として、医院の移転新築計画を立てました。人の一生の土台を創るのは、人生の最初のわずか数年です。この大事な時期を子どもたちが元気に過ごすための生活環境を地域の大人がしっかりと保証しなくてはなりません。

新しい診療所を立て替えるにあたり、地域の子どもの健康や子育ち支援を実践する場造りを考えました。併設される病児病後児保育室やその他の施設も含めて、中心市街地であるここ本町地域の活性化し、地域の人々も健康でいられる拠点となることを目指し日本大学工学部の「ロハスの工学」の考えを取り入れた診療所の建設を計画しました。

さらには医薬分業において提携している山口薬品株式会社さん、今回のプロジェクトを支えてくださった、はりゅうウッドスタジオさん、隂山建設株式会社さん、税理士法人三部会計事務所さん、株式会社東邦銀行さん、そしてプレイノベーションさんとパートナーを組み、菊池医院を核としたSmart Wellness Town PEP MOTOMACHIを建設し、その具体化に向けて,日本大学工学部の教育・研究の柱であるロハス工学をはじめ,同学の研究者に蓄積された幅広いロハスの知見を活かし,小児医療や子育て、本町地域、建設される施設やプロジェクトそのものが持続可能となるよう産学連携で取り組んでいきます。

2019年末から沸き起こったコロナウィルスのパンデミックは、人類に多くの課題を残しました。健康でいるということ、自分の人生や仕事への考え方、コミュニケーションの取り方、社会のあり方など、様々な事を考えさせられました。しかし、最終的な結論は自分自身の健康は自分で守り、社会全体でそれをサポートする、と言うことでないかと思います。そしてその原点として、子どもにその重要性をしっかりと大人が教える必要があります。

私たち職員一同は、地域の子どもや人々の拠り所となる場所となることを目指して行きます。今後とも皆様からの変わらぬご支援を賜りますようお願い申し上げます。

本日は誠にありがとうございました。

令和2年6月6日

医療法人仁寿会 菊池医院 院長 菊池信太郎